動かなくなった甲殻類・フジツボ類

山口寿之 教授

これの原稿は、山口寿之1992年に朝日新聞社が発行した週刊朝日百科・動物たちの地球70無脊椎動物10フジツボ・カブトガニ・ムカデほかに投稿した原稿の一部である。定価520円で現在でも市販されていると思います。


 フジツボ類は、一般に直径数mm〜3cmの富士山型の石灰質の殻(周殻)を持ち、岩などに固着し、全く移動しない。石灰質の殻を持つので、多くの人が貝の仲間だと間違える。潮間帯の岩場で動き回っている円錐形の貝・笠貝(軟体動物)と違って、その頂部に開口部と蓋(蓋板)を持つ。フジツボの仲間は1800年代始めまでは軟体動物の一員にされていた。しかし節足動物の甲殻類の仲間と共通する自由遊泳性のノープリウス幼生期を経ることから、甲殻類であることが判った。幼生期の他は付着基盤に固着して動き回れないが、エビやカニに近縁な仲間であることはあまり知られていない。つまりフジツボ類は動かなくなった甲殻類である。

 フジツボ類の分類はチャールス・ダウィンの業績が大きく、「種の起源」の出版(1859年)の前にまとめられた1180頁を越す化石および現生種の4冊のモノグラフ(1851から1854年)は、現在でもフジツボ類の研究の原典になっていることもあまり知られていない。

 フジツボ類は、潮間帯から数千mを越す深海にも、淡水の影響を受ける河口にも棲むが淡水種はなく、全て海生種で、つまりどこの海にも生息している。しかし個々の種の分布を決定している環境要因は、海水温、塩分濃度、波浪の強さで、潮間帯に棲む種類はさらに空気中にさらされる時間の長さが加わる。つまり潮間帯は上部ほど大気に長時間さらされ、下部ほど短い。乾燥がそこに棲む海洋生物に最も強い影響を与え、その環境勾配は潮間帯内に棲む生物の垂直的な分布を決定する。本州中央部以西の外海に面した潮間帯には、上部にイワフジツボ(Chthamalus challengeri)、中部にクロフジツボ(Tetraclita japonica)、下部にオオアカフジツボ(Megabalanus volcano)が帯状に分布する。しかし潮位差の少ない日本海沿岸では帯状分布が明瞭でなく、最大約30cmの潮間帯にそれらが混在する。

 甲殻類の仲間としては異例な固着生活への適応は、丈夫な石灰質の殻の獲得の他、摂食法、生殖法などに変更を余儀なくされた。このフジツボ類の適応放散は、捕食者としてのカニ類のそれと密接な関係が考えられている。

 甲殻類の胸部にある左右6対の付属(し)肢は、一般に歩行用の歩脚となっている。フジツボ類では固着生活への適応のために、歩脚としてではなく、海水中を懸濁している生物片をろ過し、口器に運ぶ機能を持つ摂食用のつる(蔓)状の蔓脚に変わった。分類上の総称を蔓脚(まんきゃく、つるあし)類と呼ばれる理由がそこにある。

 固着生活は、他の甲殻類のように動き回って、異性を探し求め、生殖を行うことができない。雌雄が別々の個体である雌雄異体の場合、固着生活で効率的な生殖が生じるためには、隣り同士が常に異性である必要があるが、その様な規則的な付着は不可能だろう。そのためフジツボ類では雌雄両性の生殖器官を備え(雌雄同体)そして群がって生活する習性(生殖戦略)によって、固着生活でも隣接する個体との間で自由な交雑が可能となった。フジツボ類は雌雄同体であるので自家受精の可能性があり、事実その報告が少数ある。しかし、その基本的な生殖法は他家受精である。フジツボ類には、雌雄異体もあるが、この場合一般に個体群密度は極端に低く、雄は雌個体に比べて著しく小型になったわい(矮)雄となっている。

 第二次世界大戦後、日本の内湾でフジツボ類の種類組成が変ってきた。海上交通の発展に伴って、外国のフジツボ類の移住が増加し、既存の種との間で競争が生じ、種類組成が少しずつ変って来た。と言っても成体のフジツボは固着性で移動できない。自由遊泳性の幼生が外国で船底に付着し、日本に着いた段階で成熟し、交尾後、幼生を放出すれば日本の海岸に付着できる。内湾に増えつつある移住種はヨーロッパフジツボ(Balanus improvisus)およびアメリカフジツボ(Balanus eburneus)である。それらは原産地の名を付けた和名を持ち、前者が1950年代初めには英虞湾に、後者が1960年代には日本の多くの港湾で知られている。現在では両者は北海道を除く港湾に分布し、在来種との間で量的な関係に変化が見られる。

 日本での外来種の分布の拡大、量的な増加は、ほぼ通年におよぶ長い繁殖期間を持ち、短期間に成熟する効率的な生殖能力を持つことが在来種よりも優れていることによる。けして近年の内湾環境の悪化と必ずしも関係しているわけでは無い。

 フジツボ類は船底に付着して、海水との抵抗のために船の速度を低下させる。そのため船はときどき船底に付着したフジツボ類などを取り除く必要がある。また火力発電所や臨海コンビナート等の冷却水を取り込む送水管がフジツボ類などの付着生物に汚損される。その除去のためには莫大な経費がかかる。そんな悪者のフジツボ類が最近、有用生物として注目を集めている。

 フジツボの付着物質を医療用の接着剤として利用することが研究されている。フジツボ類や二枚貝のムラサキイガイが付着用に分泌するタンパク質が、常に体液にさらされる生体組織を接着する害の無い安全な接着剤(バイオ接着剤)として関心が集まっている。医療現場でフジツボの世話になるのもそれ程遠い未来ではないだろう。


―深海熱水噴出孔はタイムカプセル―
 1970年代に深海底の熱水噴出孔周辺に全く未知の生物がいることが判った。地表近くに棲む生物は、みな太陽の恵みを受けている。我々ですら直接または間接に太陽の光で光合成をする植物を摂取して、そのエネルギーを利用している。深海の熱水噴出孔には太陽光は到達せず、エネルギー源としての光を利用できない。かわって噴出している熱水に溶けている無機物の硫黄およびそれを摂取する細菌(バクテリア)が、それぞれ地表での光エネルギーおよび植物に相当し、それらが熱水噴出孔周辺の生態系の根幹をなす。そんな特異な生態系に全く未知の動物が生息していることだけでなく、それらが非常に原始的であること驚きを持って注目されるようになった。

 深海熱水噴出孔周辺からの最初のフジツボはスクリップス海洋研究所のニューマン教授の記載した Neolepas zevinae で、メキシコ沖の太平洋の深海底にある東太平洋海嶺の北緯21゜、水深2600mから採集された。筋肉の柄を持つ有柄類エボシガイ亜目のミョウガガイ科の新属新種で、中生代三畳紀初期(2.2億年前)から知られる分類群の唯一の生き残りメンバーで、最も原始的である。

 ニューカレドニアの中生代ジュラ紀初期(1.9億年前)から発見された同じ属で別種の Neolepas augurata Buckeridge & Grant-Mackie は一緒に産出した化石や体積物の特徴から陸棚のような浅海域の環境を示す。当時は浅海に棲んでいた。

 別の原始的なフジツボ類が西太平洋のマリアナ背弧海盆の水深3600mの熱水噴出孔周辺より得られ、同じくニューマン教授によって報告された。筋肉の柄部を失った無柄目の左右非対称のハナカゴ亜目の新属新種 Neoverruca brachylepadoformis である。

 左右非対称であるという大きな相違点を除けば、ジュラ紀後期(1.5億年前)から中新世(1500万年前)に生息していた絶滅したフジツボ類のブラキレパドモルファ亜目に密接な関係を持ち、ハナカゴ亜目の中で最も原始的である。また無柄目に属すこの仲間は個体発生の段階で筋肉の柄を持つ有柄目段階を経る。筋肉の柄を持った有柄類から筋肉の柄を失って無柄類を生じるというフジツボ類の進化の証拠となる。つまりこの標本はブラキレパドモルファ亜目とハナカゴ亜目との「失われた環」(missing link)をなす。

 三番目の熱水噴出孔からのフジツボは、日仏海溝調査で北フィージー海盆の水深1990mから採集された。私とニューマン教授が共同で記載報告した。無柄目の左右対称のフジツボ亜目の最も原始的な新属新種で Eochionelasmus ohtai と名付けた。近縁種はニュージーランドの始新世後期(4500万年前)からの化石記録がある。

 そして四番目の熱水噴出孔からのフジツボは、南太平洋トンガ諸島沖のラウ海盆の1850mの熱水噴出孔から無柄目のブラキレパドモルファ亜目の新属新種の Neobrachylepas relica が採集され、ニューマン教授と私が報告した。それは新生代中期の中新世(1500万年前)に絶滅したと考えられてきた原始的な分類群で、まさに「生きた化石」である。

 このようにフジツボ類の全四亜目の最も原始的な分類群が熱水噴出孔周辺に生息している。中生代後期から新生代初期のフジツボ類に知られる適応放散で、浅海ではこれら四亜目の祖先はより進化したグループと置換し絶滅した。しかし熱水噴出孔にはその後も浅海から避難してきたグループが原始的な特徴を持ったまま特殊化し、生き延びたものと考える。

 フジツボ類の進化にとって重要な出来事は、およそ8千万年前の中生代後期からそれに続く新生代初期にかけて生じた適応放散である。それまでのフジツボ類は、体が岩などに付く筋肉でできた柄部とそれ以外の体の主要部分である頭状部とからなる有柄目の仲間だけであった。潮間帯の岩の割れ目などにいるカメノテやブイなどの浮遊物体に付着しているエボシガイがこの仲間に入る。この時の適応放散で、筋肉の柄部を失い頭状部が直接岩などに付着する無柄目(普通フジツボと呼ばれる仲間が含まれる)が出現した。


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